天守・城郭の最終防衛拠点と位置付けられ

城の象徴でもある天守は、大型の望楼櫓が発展したともいわれる。

名称の由来は、仏教の多聞天、梵天、帝釈天を祀ったところから命名されたものという説、城主の館を「殿主」「殿守」といったところから来たという説などがある。

しかも、天守の文献上の初見は、摂津伊丹城とするものや松永久秀の大和多聞山城とするもの、また、織田信長の安土城の天主とするものなどの説があり、起源については未だに十分解明されていない。

多様な形式・形状の天守が築かれたが、築城のピークは関が原の合戦前後で、特に西日本には姫路城天守のように高さ20メートル前後から30メートル前後のものが築かれたのも特徴である。
update:2010年02月22日